虫は鳴けども蛙は鳴かず
秋に入って夜は鈴虫の鳴き声を聞きながら眠りにつく毎日となった。地元を離れて比較的都心に近い川崎に越してからだいぶ経つが、毎年のように虫の鳴き声を聞けるのはなんとも言えない安心感があるのはなぜだろうか。
昼間は車通りも多く人の流れも多いが、夜になれば人の往来も少なくなり、虫の鳴き声がよく聞こえる。基本的に無視の鳴き声を意識するのは仕事が終わり家でゆっくりしているときだからこそ、安心感を感じるのだろうか。もしくは、地元の情景を重ねているのかも知れない。
地元といえば、もう長いことカエルの鳴き声を聞いていない。私の地元は神奈川県内ではあるが山や川、田が多く、今思うとどう考えても田舎だった。当時はどこに行っても田んぼだらけだったのもあり、自分の家で寝ようが、友人宅に泊まろうが、どんなロケーションでも夜はカエルの鳴き声がうるさく、なかなか寝付けなかったを覚えている。
しかし不思議なことに、当時あんなにうっとおしく思ったカエルの鳴き声も、いざ聞かなくなると、久しぶりに味わってみたい気になってくる。地元には大きい公園がいくつかあるし、有名な神社もあるし、お寺もある。きっとその辺りに今住んでる人は、今でも毎年カエルの鳴き声が聞こえているだろう。とても煩そうだ。
虫の鳴き声はこんなに心地が良いのに、なぜカエルはあんなに爆音でシャウトするのだろうか。田舎は比較的時間が緩やかに感じるし、人が住んだらなかなか心地は良いもののはずだ。カエルは一体何のために叫び、何を訴えかけているのか。都会への憧れや、変化のない田舎に辟易して叫んでいるのは、もしかするとカエルも若者も変わらないのかも知れない。マジロックンロール。
逆にいうと、都会は田舎ほどロックンロールじゃないのかもとも思う。都会出身の人は大人しくて真面目な人が多いし、実際に一緒に働く人達を見ても、その傾向があるような気がする。さしずめ、鈴虫やコオロギ、キリギリスといったところだろう。
田舎暮らしと都会暮らし、どちらがいいかは人によるし、答えはないと思う。ただ、個人的には田舎暮らしの方が心は安定するんじゃないかと思っている。
調べてみると、これはどうも私の思い込みでもないらしく、実際に都市部の方が精神的疾患を患うリスクが高いという研究結果もあるよう。記事中では大気汚染が精神的疾患のリスクを高めかもとある。少なからず、都会が田舎と比べて人間にとって生きづらい部分があるのだろう。
City life damages mental health in ways we’re just starting to understand
https://www.popsci.com/physical-surroundings-cities-mental-illness/
私は田舎に生まれて今は都市部に住んでいるが、現状そこそこ健康に生きることができている。なんだかんだで地元は好きだし、永住するなら戻ってもいいかなとも思っている。そういう場所がある限り、心が折れない気もしている。何かと馬鹿にされることもあるが、田舎者のメンタルはなめてはいけないのだ。
虫は泣けども蛙は泣かず。今日はこの辺で。